PEAKFORM代表のブログ

リハビリテーション×○○○を考えながら、新たな価値観を創造していけたら良いいな。雑多な事から理学療法士としての記事まで色々書いていけたらと思います。

リハビリテーションにおける創造性

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今まで、創造性という力を仕事にしてきている人たちと多く関わらせていただいてきました。今日はその経験を少しまとめてみようと思います。

 

創造性とはなんでしょうか?調べてみました。

 

「新奇で独自かつ生産的な発想を考え出すこと、またはその能力。創造性についてはさまざまな研究が行われているが、いまだにその本態について明快な結論は得られていない。しかし、いくつかの注目すべき特徴はみられる。高次の創造性――たとえば数学上の発明・発見の過程は典型であり、比較的型にはまった位相を追って進行する。イギリスの心理学者ワラスGraham Wallas(1858―1932)はこれを、(1)準備、(2)孵化(ふか)、(3)啓示、(4)検証の4段階に分けた。第一の準備は、創造者が解決すべき問題についての論点や資料を探索して懸命に努力する時期であるが、多くは熱心な追究にもかかわらず行き詰まりを感じ、一時努力は放棄され、なんらかの気晴らしや別の活動に携わる。これが孵化期であるが、その一見無為の最中に突然あたかも他者が頭のなかに吹き込んだような感じで解決が訪れる。これが、第三の啓示(インスピレーション)の時期である。答えは即座に正しさが確信され、その論理的証明が第四の検証期の仕事となる。

 したがって、第一に、創造性は突然真空から出現するものではなく、やはり長年月を要する基礎的学習という努力に加えて、当面の問題へ没入する集中のうえに築かれる。それは単なる思い付きではなく、まして無知や白紙状態と両立するものではない。第二に、発明・発見をもたらす用具として定型的な言語・数学的記号は使われることがなく、視覚・映像的記号が主役を演じる。第三に、啓示の正しさを確信させるのは、フランスの数学者ポアンカレJules Henri Poincar(1854―1912)によると美的感受性であるという。答えの均衡のとれた簡潔性と体系性が、まず感受性のふるいにかけられる。だから、創造性は、ただ知的な仕事ではなく、もっと別の情意的要素―審美的感覚を必要とする。第四に、強い先入見や固定観念は創造性を妨げる。フロイトが、コカインの眼科的麻酔剤としての効用を発見しながら、鎮静剤としてのその役割に固執しすぎて、眼科の外科手術に適用するという着想を発展させ損なったのは有名である。第五に、創造性と学業成績とはかならずしも一致しない。カントやフロイトのように、飛び抜けて学業に優れた天才も少なくないが、一方では、アインシュタインエジソンが劣等生扱いされたことはよく知られているし、チャーチルその他、学校そのものに不適応だった人も数多い。」[藤永 保]

引用

”https://kotobank.jp/word/%E5%89%B5%E9%80%A0%E6%80%A7-1556439”

 

 言葉で説明するとこのような説明になるようですね。実際にお会いすると、創造性の高い人という人の発想は、世の中の一般論、世論とは一線を画しています。それは知覚レベルで起きている違いなんだと感じることが多いです。当たり前に存在しているこの世界の見方を、当たり前に受け取っている環境から受けとる感覚を、誰しもが気にも留めないような「当たり前」を常に新鮮に捉えている印象を受けます。そして、さらにその発想を「具現化」するという行動力に長けています。

 

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 こんな能力が創造性ではないかと考えています。リハビリテーションの世界ではどうでしょうか?対象者の「障がい」は当たり前なのでしょうか?「当たり前」を疑い、自分の頭の発想を豊かに大事にし、「治療手段」という形に具現化する。これがリハビリテーションにおける創造性だと感じています。

 障がいを克服する視点に加え、障がいを「創造」する視点があったら、治療手段はもう少し増えてくるのかもしれませんね。

Animator:Brandon Lane インタビュー

 

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超絶凄腕アニメーターのBrandonにインタビューしてきました。というか、一緒に遊んできたという表現が正しいですね。笑

 Brandonの紹介をするとCG技術を駆使して色んな映像・アニメを作り、世界をまたに掛け活躍しているアニメーターです。もう僕の説明では伝わらないくらいの一流のクリエイターさん。

 今回はゆっくりお話ができたので、その内容を紹介したいなと思います。

 Brandonは普段はすごく優しい好青年。常に笑顔で接してくれるNice guyです。そんなBrandonがPCを立ち上げ作業を始めると表情が一変し、一種のオーラというか、独特の雰囲気を纏い始めます。

 僕の経験上、このような人種は間違いなく本物の才能を持った人です。ARソフトをいじりながら、あっという間に一つの作品データを作ってしまいました。

 PCからこちらに顔を向けて一言。「楽しい!」いつもの優しい笑顔に戻っています。

 

この作業後にインタビューを仕掛けることに成功しました。

 

私:「Brandonは映像を制作する時にまず何から始めるの?」

 

Brandon:「頭のなかにある抽象的なストーリーを思い浮かべて、そのイメージに会う映像の素材を沢山見る。」

 

私:「まず、ストーリーを最初に固めることが大事なんじゃないの?」

 

Brandon:「沢山の写真や画像を見ながら段々ストーリーが出来合っていくんだよ。映像を背景、キャラクターなどにカテゴライズして、それを眺める。そしてそれを並べていくんだ。ストーリーボードを作る。そうやってストーリーが出来上がっていく。」

 

これを聞いて、やっぱりアーティストの脳なんだと思ったわけです。人ってどうしても頭の中で言語が先行すると思うんです。意味言語で理解しようとするじゃないですか?

 視覚的なイメージを沢山頭の中に取り込んで、それがストーリーになっていくわけなんですよね?僕みたいな人は多分左脳→右脳が強烈に機能的なんだと思うんだけど、クリエイターのような何かを生み出すことをする人って右脳→左脳っていうことができる人だと思うんですよ。スタートが意味言語じゃないっていうのが、凄いことで、頭の中で記号化されたところにアクセスしてそれに色んなイメージを組み合わせてってのが、いわゆる左→右。でも右→左っていうのは、自由度の高い今回で言えば、視覚イメージを沢山まずインプットして、それがどんな記号になるのかな?っていう作業。つまり、この世にまだ存在しない全く新しい意味や概念すら生まれる可能性すら持ち合わせてますよね?この使い方が創造性なのかなとも思ったりするわけです。もちろんこんな単純ではないようですが。笑

 じゃあ、これをリハビリテーションに当て込んで考えてみたらどうでしょうか? Science basedのリハビリテーションは確実に左→右。こういう治療法が効くよ。ってことをそのまま当てはめていくわけですから。でも患者さんの問題って本当にこれだけの機能連関で解決できるのかなあ?もちろんここの積み重ねは何よりも重要だと思うんだけど、積み重ねた先に何が見えるのだろう??そこで臨床研究の視点が必要になってくる。データから外れていく人どうしよってことですよ。臨床の本質って多分こういうところに有るんだろうなぁと思います。色んな角度から、色んな側面からその人を観察して、いっぱい取り込んで、意味化していくプロセスが大事ですよね。それをどんな訓練として具現化するのか。

 その人の回復のストーリーどう作り上げますか?

システムアプローチという視点

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人の運動を行為として捉えることが重要という話をしました。今回は、行為そのものをどのように観察していけばいいのかという考え方を書いていこうと思います。

 認知神経リハビリテーションの考え方では「身体を情報の需要表面」という捉え方をします。単純に感覚入力がされているわけではないというお話を前回しました。意図を達成するために必要な感覚を情報化・統合し行為をプログラミングしていくわけです。

 このような行為を観察するときに大事な視点となってくるのが、行為そのものをシステムとして捉えるという視点です。システムというのはある1つの機能系のことを指します。1つのシステムもまた、複数のサブシステムの関連性により形作られています。例えば、歩くということを1つのシステムとして捉えた場合、それは①緩衝(衝撃吸収)②支持 ③推進 ④到達という4つのサブシステムから構成されていると考えるわけです。身体にはそれを達成するための機能が備わっており、それが障害されることで、システム全体がダウンしてしまう。あるいは誤作動してしまうという捉え方をしていくわけですね。

 例えば時計。時計の中には無数の歯車が組み合わせって、1秒を刻むとうシステムが生み出されています。この歯車が1つ無くなるだけで時を刻むという全体のシステムはダウンしてしまうわけです。

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 身体も行為もこのように捉えていこうというのがシステムアプローチの特徴となってきます。



認知神経リハビリテーション・ベーシックコース東京2

9月7日〜8日の2日間にわたり開催された、認知神経リハビリテーション・ベーシックコース東京2に参加してきました。今回は講師としてコースの中の2コマ分を講義させていただきました。こんな自分に講師なんて。。。みたいなことも十分承知の上、自分の言葉でお伝えしてきました。リアクションはなかなか良かったみたいでホッとしました。笑

 今回は講義の内容を少しお伝えできればなぁと思います。「行為・機能システムと情報メカニズム」というお題をいただきまして、好き勝手喋ってきた訳なんですが笑。リハビリテーションは動作の回復を目指して行われていくんだけど、「人間の動き」そのものの捉え方、変えてみません?っていう提案です。動物が動くことと、人間が動くことって共通している部分もあるんだけど、違う部分がある。じゃあその違いって何なの?そもそも人間って何なのよ?ってことから少し理解していく必要あるんじゃない?っていうことなんです。ざっくり言うとね。笑。

 人間が動いている現象をまず「行為」として捉えよう。行為っていうのはその人がしたいと思って(意図をもって)行う運動のことです。つまり、行為には意図が存在しているということですよね。その意図を達成するために人間は運動を引き起こすんだけど、その運動を作るためには求心性情報を合成して、プログラミングしていかないといけない。それを担う器官が脳を中軸にした神経系になるわけですね。ここで重要となってくるのが、情報構築という視点です。

 情報って何なんだってことからまず。情報っていうのは、差位を産むための差異って呼ばれています。どういうことかと言うと、感覚じゃないんだよってことなんです。人間が動くためには感覚が必要です。例えば椅子に座っているという状況を想定してみると、まずお尻から椅子から得られる体性感覚が入ってきてますし、視覚からはどの空間にいるのかということが入ってきています。さらに前庭覚からは水平かどうかの情報が入ってきているし、何より、全身には重力がかかっているので、抗重力筋を代表とする全身の筋肉からは常に、深部感覚が入ってきているわけです。でもこんなんにたくさん感覚が入ってきていることって普段意識して座っていないですよね?でもちょっとここから、いい姿勢で座ろうとか、足が長く見えるように座ろうとか、座ることに対して何らかの意図が発生すると、普段何気なく座っているモードから、変化が起こって、意識していない身体の場所の感覚に注意がむき始めますよね?これが情報なわけです。意図を達成するために感覚を情報化して行為を生み出すという過程なんですね。まっすぐ座ろうとすると左右のお尻に均等に体重をかけようと試みる。普段お尻には自分の体重分の圧感覚が物理的に入っているんだけど、何気なく座っている状態では意識にのぼらないですよね?でもまっすぐキレイに座ろうとするときに「右のお尻にはこれくら、左のお尻にはこれくらい」みたいに自分の体重という「物理的な質量」が「これくらい」という「認知的な質量」に変わっていきます。これが情報なんですね。つまり、身体を感覚器官とか運動実行器官ではなくて、「情報器官」という風に捉えていこうぜっていう提案なんです。この情報構築がいかにして起こっているかを観察するための方法がシステムアプローチという手法になってくるわけですね。行為をシステムとして捉えていくと言う視点です。

 次回はこの辺を書いていこうと思います。

リハビリテーションセラピーの歴史

さてさて、前回の更新からだいぶ期間が空いてしました。サボっていたわけではなく、ちょっと本業が忙しかったんですね。その事もまた、ブログでお伝えできればと思います。

 さて今日のお題はリハビリテーションセラピーの歴史についてです。どんだけ歴史好きやねん。って事なんですが、やっぱり、今当たり前に成立しているような物事でも。その成り立ちとか知っとかないと本質的な理解にはたどり着けないのかなぁとか思っちゃう訳です。本当めんどくさい性格なんですね。笑

 余談は置いておきまして、本題に入っていこうと思うのですが、今回はリハビリテーションの世界の中で開発されてきた、これまでの治療法の歴史を遡ってみたいと思います。

 大きくわけて4つの時期に分けられるのかなぁと考えている訳です。

①動作反復訓練法

     ↓

②筋力増強理論

     ↓

③神経ファシリテーションテクニック・徒手療法・運動療法

     ↓

④ニューロリハビリテーション・ロボティクスリハビリテーション

 

個人的に何となくこんな感じで解釈しています。私が勉強している認知神経リハビリテーションは④の時期に相当すると考えられます。

 

 さて、反復動作訓練はとにかくできなくなったなら、またできるようになるまで、それを繰り返し行いましょうっていう理論です。ちょっと専門的な言い方をすれば、全体法による反復学習理論ってことになりそうですね。さて、②の時期に入ると、そもそも動作を行うためにはそれを行うための筋力が大事じゃね?だったら筋力先に鍛えてしまった方が効率的じゃね?ってことで開発された理論が筋力増強理論になります。全体から筋力という動作制限の原因部分を取り出して、そこを強化してしまった方が効率的という考え方ですね。今じゃ当たり前からもしれない考え方ですが、当時はめっちゃ画期的だったんじゃないかなあと思う訳ですね。動作を分析して筋力が原因だね。っていう考え方が素敵ですよね。その動作が出来ない理由をちゃんと探そうっていうのが始まった感じがしてワクワクしますね。

 ③のフェイズに入ってくると、そもそも筋力発揮する前の段階のエラーに対してアプローチしてった方がいいでしょ?ってことになってくる時期です。神経系が筋肉支配してんだから、この神経系に対して働きかけられないかな?という発想。でもそれってどうやんの?って事で登場してくる「感覚入力」です。感覚刺激を介して神経系コントロールしてやろうじゃないか!っていう方法です。神経ファシリテーションの大体が「適切な感覚入力」って言葉を多用していることからも、神経系=感覚入力みたいなイメージが強いですよね。ボバースさんやクラインさん、ボイタさん。色々な人たちが日々研鑽を重ねていたんですね。本当頭下がります。

 さて、④のフェイズではニューロリハビリテーションという紹介をしましたけど、③からの流れがあったから、この表記にしていますが、サイエンステクノロジー×リハビリテーションってことがその本質的な意味となります。④のフェイズは科学技術の劇的な進歩により、今までわからなかったことがわかるようになってきた時期ですね。それによって、リハビリテーションでも新しい発想がドンドン出てきているんですね。その代表格がニューロリハビリテーションになるのかなぁと思っています。脳の活動をMRI、fMRIとかを代表するような画像評価機器によってリアルタイムにモニタリングしたり。脳に電気や磁気を当てて活動性の調整をかけたり。脳に電極埋め込んで電気流したり。もう色んなことが科学技術の進歩によって出来るようになってきてますよね。

 

 ザッとまとめるとこんな感じです。色んな方法が考案されてきましたね。だからこれが一番正しいやり方なんて文脈は無くて良くて。患者さんの状態にあったベターな方法をセレクトできることが重要かなぁと。そのためにはやっぱり色々な事を勉強して行かなきゃならないと思うんだけど、1つの事に集中するがあまり視野を狭める事はしちゃいけないと思うんです。医療分野においてはエビデンスを第一優先にするべきだしね。風邪をひいて病院に行ったのに整形外科医が診療して、湿布だされたら、たまったもんじゃないですよね?笑。リハビリテーションも早くこの土俵に乗らないといけないなぁと強く感じています。一方で、リハビリテーションという概念、つまり「全人的復権」をどのように達成するかにおいて、その自由度の広さを認識した上で自分なりの色を乗せて、創造していける能力もまた重要だと思うんですね。

 色んな側面から対象者と向き合いながら、日々を積み重ねていきたいものですね。

リハビリテーションの回復について

リ ハビリテーションによる回復ってどう捉えていけば良いんでしょうか?今日はその辺を考えていこうと思います。平成28年度の診療報酬の改定により、回復期リハビリテーション病棟の実績を評価して、入院料を決定していこう。という制度が新たに設けられました。回復期リハ病棟の能力査定が初めて導入されたことになりますね。ここで、何が回復期リハの能力として定められたかというところがポイントとなってきます。これをアウトカムと呼びますが、ここに関わる指標はFunctional Independence Measuar(FIM)です。日常生活動作能力を測る評価バッテリーでお馴染みですね。回復期リハ病棟入棟時のFIMが退院時に何点アップしたか(FIM利得)、それがどのくらいの入院期間で達成されたかという所がアウトカムとして計算されています。より短期期間でFIM利得が高い状態を良しとします。非常に単純明快。分かりやすくて良い!!でもこれが本当に回復の本質なのかなぁとも思っちゃいますよね。

 リハビリテーション医学における回復ってどう定義されてるのか調べてみると、リハビリテーション医学会では「障害を克服し、その人の活動を育む」と説明しています。ここに関しては個人的には異論無い訳ですが、でも回復期リハ病棟の回復指標はFIMなわけですよ。経営的な立場から考えれば、FIM利得をいかにあげていくかということを考えるのが当然ですよね。これをどう達成するかという過程がセラピーなわけなんですが、その自由度ってめちゃめちゃ大きい。それ自体はすごく良いことだと思うんですけどね。医療である以上、Evidenceに則ったものを選択していくべきで、ここにも異論はございません。Evidenceに則った治療。こうも言えますよね。「ステレオタイプな治療」。運動療法薬物療法と同様に運動生理学的変化が身体に効能として作用するという観点においては、ステレオタイプでいいと思うんです。しかし、これは「運動療法」に限定したものであって、臨床ではどうしても+αが必要です。「リハビリテーション」ですからね。この+αの自由度が非常に大きい。何を選択することが最適解であるのでしょうか?

 さてさて、次回はリハビリテーションの治療の歴史の変遷について少し過去に遡っていこうと思います。

認知神経リハビリテーションについて

 ここにきて、初めてリハビリテーションについての記事を書いていこうと思います(遅)。認知神経リハビリテーションって聞いた事があるでしょうか?この認知神経リハビリテーション(認知神経リハ)って考え方が私は好きでして。

 これまでのリハビリテーションの歴史の中で開発されてきた治療法って色々ありますよね?筋力増強理論、徒手療法、神経ファシリテーションテクニック等に大きくカテゴライズされて、それがさらに、これでもかって位に細分化されて、今では本当に世の中、沢山の治療法で溢れかえっているわけですよ。もうね、沢山勉強してきたけど追いつかないし、正直何が良いのかわかりません(笑)。

 そんな中、数多くの治療法の中で、私は今、認知神経リハを勉強しているんですね。これが何でなのかって事なんですけど。理由は一番「人間のための人間を考慮した治療」だと思うからなんです。治療法って色んなテクニックがあるけど、そのほとんどが動物レベルの治療だと思うんです。人間じゃなくても治療対象になっちゃうと思うんですね。認知神経リハは「対象を人間に限定したリハビリテーション」なんですよね。

 

 認知神経リハの治療対象は「行為」です。はっ?

 認知神経リハは「身体を情報の受容表面」として捉えます。はっ?

 認知神経リハは「運動を知る事」と捉えます。はっ?

 認知神経リハは「回復を学習」と捉えます。運動学習のこと?

 

 まぁこんな感じです(笑)。2000年に入ってから確立された認知神経リハは、一言で言うならば難解です。もうさっぱりです(笑)。でもめちゃくちゃ尖ってる感じがして好きなんですよね。人を考慮したリハビリテーション。すべてがそうなんだろうと思うんですが、認知神経リハは人を人たらしめてる所以って何なんだろう?ってところに着眼点を置いて、そこを突き詰めて1つの治療コンセプトとして提言しているものです。あれっ?それじゃあ今までのリハビリテーションにおける治療法全部ひっくり返さなきゃいけないんじゃない?みたいな感じになっちゃったみたい。パラダイムシフトってやつですね。

 

 認知神経リハの研修会とかいくと、絵画とかの紹介があったりするんですね。その絵が意味しているものって何なのか?みたいな問いかけが沢山ある。そこで多用されるのがピカソの「キュビズム」です。色んな側面から観察できる「面」を同一平面上に描くという技法。治療対象者もこんな見方してみよう。的な事なんです。その人を観察する際、身体機能、症状、運動機能だけに捉われずに、色んな側面から「その人」を観察して、その人ってキャンバスに「治療」を描いてみようぜ。って事なんだと個人的に解釈しています。思考することが山ほどあるんですが、その分自由度が高い気がして。そんなところが好きですね。はい。

 

 何となく素敵じゃないですか?何となく創造的じゃないですか?

 

 人を理解することに主眼を置いたリハビリテーションなんですね〜。これについても今後書いていこうと思います。