PEAKFORM代表のブログ

リハビリテーション×○○○を考えながら、新たな価値観を創造していけたら良いいな。雑多な事から理学療法士としての記事まで色々書いていけたらと思います。

AWGS2025改定が意味しているものとは何か


2025年、
Asian Working Group for Sarcopenia(AWGS)のサルコペニア診断基準が改定されました。

数字が変わった。
年齢区分が広がった。
評価項目が整理された。

表面的には、そんなふうにも見えます。
けれど、今回の改定を眺めていて強く感じるのは、
これは単なる診断基準のアップデートではないということです。

もっと根底で、
「筋肉をどう捉えるのか」
「身体の変化に、いつ気づくのか」
その前提そのものが、静かに書き換えられています。


サルコペニアは「高齢者の話」ではなくなった

今回の改定で象徴的なのは、
50〜64歳という中年期が、明確に診断の射程に入ったことです。

これは、「対象年齢が広がった」という話以上の意味を持ちます。

サルコペニアは、
高齢になって突然起こるものではありません。
もっと手前、
忙しさや生活習慣、運動量の低下、体重変動のなかで、
少しずつ、気づかれないまま進んでいく。

AWGS2025は、その事実を
ようやく正面から認めた、とも言えます。

老化の結果としてのサルコペニアではなく、
ライフステージの途中で進行する「筋肉の健康破綻」として。


「診断するための基準」から、「関わるための基準」へ

もう一つ、大きな変化があります。
歩行速度などの身体機能が、診断の必須条件から外れました。

これは、身体機能を軽視したという意味ではありません。

むしろ逆で、
「できなくなってから診断する」
「遅くなってから介入する」
その構造から、一歩引き返したように見えます。

筋力と筋量。
まだ変えられるところ。
まだ戻れるところ。

AWGS2025は、介入の“遅さ”を問題にしているのだと思います。


筋肉量よりも、「筋肉がどう使われてきたか」

表向きの基準は、
握力と筋肉量というシンプルな構成です。

けれど、臨床で身体を見ていると、
本当に問われているのはそこではないと感じます。

この筋肉は、
どんな生活を送ってきたのか。
どんな姿勢で、どんな動き方で、
どんな無理や、どんな我慢を重ねてきたのか。

AWGS2025は直接そこまでは書いていません。
でも、そこを見ずに数字だけを追うな
そんなメッセージは、確かに読み取れます。


医療の中だけで完結しないことを、最初から前提にしている

BIAなど、簡便な評価方法が明確に位置づけられたことも重要です。

この基準は、
病院や研究室の中だけで使われるものではありません。

地域で。
予防の現場で。
制度の外側で。

誰が、どこで、いつ関わるのか
そこまで含めて設計されている。

サルコペニアは、
診断名というより、
「このままでは、少しずつ世界が狭くなる」という
身体からのサインなのかもしれません。


この改定が、私たちに突きつけている問い

AWGS2025は、答えを提示しているというより、
問いを置いていったように感じます。

  • 数値を測って、それで終わっていないか

  • 診断名で線を引いていないか

  • もっと早く関われた可能性を、見逃していないか

そして何より、

この人の筋肉は、どんな人生を生きてきた結果なのか。

そこに目を向ける覚悟があるのか、
それを問われている気がします。


おわりに

AWGS2025は、
「正しい診断」を更新したのではなく、
「関わり始めるタイミング」を前にずらしました。

筋肉は、年齢とともに減るものではあります。
でも、減り方も、使われ方も、人それぞれです。

だからこそ、
遅すぎないうちに気づくこと。
まだ動けるうちに関わること。

今回の改定は、
その当たり前を、
ようやく基準の言葉に落とし込んだ出来事なのだと思います。

2026年診療報酬改定を前に


――PEAKFORMが社会に存在する意味について

2026年診療報酬制度改訂の枠組みが、徐々にわかってきました。

数字だけを見れば「プラス改定」と言われていますし、
報道上は前向きなトーンも目立ちます。

ただ、現場にいる立場として感じているのは、

医療の中で「守られる領域」と「静かに切り離されていく領域」が、より明確になる改定
そんな印象を持っています。


科学的に正しくても、すべての人には届かない

医療の世界では、
「この疾患には、このリハビリが有効である」
という科学的知見が、数多く示されています。

運動療法やリハビリが
QOLを改善する
・再発や再増悪のリスクを下げる可能性がある
・倦怠感や痛み、機能低下を改善する

こうしたエビデンスは、特定の分野に限らず、
整形外科、神経、内部障害、慢性疾患、産後、加齢など、
多くの領域で蓄積されています。

それでも現実には、
これらの科学的に正しい支援が、必要とするすべての人に届いているわけではない。

むしろ、
有効だと分かっていながら、受けられていない人の方が圧倒的に多い。


「効果がある」と「受けられる」は別の話

――医療制度の構造として

このズレは、個人の意識や努力の問題ではありません。
現場の裁量や熱意の問題でもありません。

医療制度そのものの構造によって生じている問題です。

医療の中で提供されるかどうかは、
科学的に正しいか、効果があるか、
それだけで決まるわけではありません。

制度の中では常に、

  • 算定可能か

  • 定められた要件を満たしているか

  • 規定された期限・回数の範囲内か

という条件が、同時に問われます。

たとえそのリハビリが、
本人にとって明らかに必要で、
科学的にも有効性が示されていたとしても、
制度の枠組みに合致しなければ提供されない。

これは例外的な話ではなく、
医療制度が「制度」として成立するために必然的に生じる構造です。

その結果として、
医療の中にあっても、リハビリはすべての人に開かれているわけではない
という現実が生まれています。


2026年診療報酬改定が示しているもの

今回の改定を通して、
医療制度の役割分担は、よりはっきりしてきました。

急性期、重症対応、
制度的に成果が数値化しやすい領域。
ここは、引き続き医療制度の中で守られていく。

一方で、
・治療は終わったが、回復は終わっていない
・診断はついたが、生活は戻っていない
・期限や回数の制限で支援が途切れる

こうした人たちは、
制度の外側に置かれやすくなっています。


例として見えてくる「制度の境界に置かれる人たち」

この構造がはっきりと表れるのが、
制度上の区切りによって、支援が途切れてしまう人たちです。

ここで扱っているのは、
単なる予防でも、一般的な健康づくりでもありません。

一度、障害や大きな機能低下を経験した人は、
自分の身体の問題を、社会のどこにはめていけばいいのでしょうか。

病院では、
「病気そのものは治っている」
「医学的な治療のフェーズは終わった」
そう整理される。

一方で、
健康増進や予防を目的とした一般的なフィットネスや運動サービスは、
そもそも利用できないケースがあったり、
利用できたとしても、
「本当に自分が行っていいのだろうか」
「悪化しないだろうか」
という不安が常につきまとう。

それでも本人は、
もうこれ以上よくならなくていい、と思っているわけではありません。

まだ良くなりたい。
これ以上悪くならないように、きちんと取り組みたい。
自分の身体と、これからの人生に向き合いたい。

では、そういう人たちは、どこへ行けばいいのか。

たとえば、リハビリテーションの算定上限を超えた人。
改善の余地があることが分かっていても、
「これ以上は制度上、提供できない」という理由で、
支援が終了してしまう。

成長期の子どもの障害も同様です。
発達や環境の変化に応じた継続的な関わりが必要であっても、
年齢や制度区分の影響で、十分な支援につながらないケースがあります。

障害のある子どもが18歳を迎えるときに直面する、
いわゆる「18歳の壁」もその一例です。
支援の必要性が消えるわけではないのに、
制度が切り替わることで、支援の連続性が断たれてしまう。

産前・産後の女性も、
医学的には「病気ではない」とされる一方で、
身体機能や生活への影響は大きく、
専門的なケアが必要な時期であるにもかかわらず、
制度の中では拾いきれない場面が多くあります。

高齢期におけるサルコペニアも同じです。
予防や早期介入の重要性は広く知られていますが、
制度としては十分にカバーされているとは言えません。

これらは、それぞれ別の問題に見えますが、
根底にあるのは共通しています。

支援の必要性がなくなったのではなく、
制度の枠組みから外れただけ。

多くの人が、
「医療のフェーズは終わったが、身体の課題は続いている」
という状態で、制度の境界線上に置かれています。


医療制度は「悪い」のではなく、「役割が違う」

私は、診療報酬制度を否定したいわけではありません。
むしろ、日本の医療制度は、世界的に見てもきわめて高い水準にある、
誇るべき制度だと思っています。

誰もが比較的低い自己負担で医療にアクセスでき、
急性期から慢性期まで、一定の質が担保された医療を、
全国どこでも受けられる。

これは、世界にも類をみない仕組みです。

その土台を支えてきた診療報酬制度は、
限られた財源の中で、
医療の公平性と持続可能性を両立させるために、
極めて精緻に設計されています。

だからこそ、
この制度が「万能ではない」ことも、自然なことだと思っています。

診療報酬制度は、
・緊急性が高いもの
・重症度が明確なもの
・効果が比較的短期間で評価できるもの
を優先的に支える仕組みです。

一方で、人の身体は、
生活の文脈の中で、長い時間をかけて変化していく。

回復に時間がかかるもの、
数値化しにくい変化、
生活全体と深く結びついた課題。

こうした領域が制度と噛み合いにくいのは、
制度が悪いからではなく、
担っている役割が違うからだと考えています。


PEAKFORMが引き受けたい「医療の外側」

PEAKFORMは医療機関ではありません。

しかし、
医療の外側にこそ、専門性を持った支援が必要な領域が確実にある
と考えています。

治療が終わった「あと」
診断がつく「前」
制度の期限を越えた「その先」

評価し、構造を理解し、
その人の生活と身体を、もう一度つなぎ直す。

医学、運動科学、神経科学、テクノロジーを翻訳しながら、
「今のこの人の身体にとって、何が最適か」を設計する。

それが、PEAKFORMの役割です。


最後に

2026年診療報酬改定は、
「医療はどこまで責任を持ち、どこから先を社会に委ねるのか」
を、より鮮明にします。

だからこそ、
制度の外側に立つ私たちは、
エビデンスがあるのに届かない人の存在を、
なかったことにしてはいけない。

PEAKFORMは、
医療の正しさと、生活の現実のあいだに立ち、
そのズレを身体と現場から埋め続けるために存在しています。

「ほぐす」とは何か

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脳科学から読み解く、身体が変わる“手前”で起きていること

 

 

 

「とりあえず、ほぐしておきましょう。」

 


臨床でも、セルフケアでも、ごく自然に使われるこの言葉。

けれど、少し立ち止まって考えてみると、「ほぐす」とは一体、身体の中で何をしている行為なのか、意外と説明が難しい。

 


筋肉を柔らかくしているのか。

血流を良くしているのか。

それとも、別の何かなのか。

 


神経科学の視点から見ていくと、

「ほぐす」という言葉が、実は神経系の現象をまとめて指している、かなり曖昧な表現であることが見えてくる。

 

 

 

 

 

 

筋肉は、そんなに簡単には変わらない

 

 

 

まず前提として押さえておきたいのは、

フォームローラーや徒手的な刺激によって、筋線維や筋膜の構造そのものが短時間で大きく変形・再配列される可能性は低い、という事実だ。

 


結合組織のリモデリングには、

 


時間
反復
適切な負荷

 

 


が必要になる。

数分から十数分の「ほぐし」で感じる変化の多くは、

組織の問題というより、神経系の出力が変わった結果と考える方が合理的だ。

 

 

 

 

 

 

「ほぐす」とは、脳が出力を下げること

 

 

 

神経科学的に見ると、「ほぐす」とは、

 


筋を相手にしているようで、

実際には脳と脊髄の出力調整に介入している行為

 


だと言える。

 


具体的には、

 


筋紡錘を含む固有感覚入力の変化
γ運動ニューロン活動の調整
α運動ニューロンの興奮性低下
抑制性神経活動(GABA作動性)の相対的優位

 

 


といった変化が重なり合い、

結果として筋緊張が下がる。

 


ここで重要なのは、

筋緊張が下がること自体は「原因」ではなく「結果」だという点だ。

 

 

 

 

 

 

ホームローラーや振動デバイスで、何が起きているのか

 

 

 

ホームローラー、ボール、振動デバイスを用いたセルフケアは、

筋肉を潰したり、伸ばしたりしているように見える。

 


しかし本質は、

固有感覚受容器および皮膚受容器に対して、明瞭で持続的な刺激を与えることにある。

 


関与しているのは、

 


筋紡錘、ゴルジ腱器官といった固有感覚受容器
皮膚の機械受容器(Aβ線維、C触覚線維)
筋膜や皮下組織に分布する自由神経終末

 

 


これらからの感覚入力が、

 



転がし
微細振動

 

 


といった形で増幅され、

脳へ「今、この部位はどんな状態か」という情報が大量に送られる。

 

 

 

 

 

 

ボディイメージは、リアルタイムで更新される

 

 

 

人の脳は常に、

 


この身体は安全か
どれくらい力を入れておくべきか

 

 


という予測モデル(ボディイメージ)を持っている。

 


ローラーや振動刺激によって局所からの感覚入力が増えると、

 


体性感覚野(S1)での表象が一時的に精緻化され
「ここは守らなくてはいけない」「常に緊張させておく必要がある」という予測が修正され
身体部位の位置、張力、接触状態に関する再マッピングが起こる

 

 


つまり、「ほぐれた」と感じる瞬間には、

ボディイメージがリアルタイムで更新されている。

 


その結果として、

 


過剰な運動出力が不要になる
脳が出力を下げる
筋緊張が緩和される

 

 


という流れが生じる。

 

 

 

 

 

 

「効いた感じ」が出やすい理由

 

 

 

フォームローラーや振動デバイスによるほぐしは、

 


即時性が高い
主観的な変化がわかりやすい
「自分で身体をコントロールできた」という感覚が得やすい

 

 


という特徴を持つ。

 


それは、このアプローチが

筋ではなく、感覚と予測そのものに直接介入しているからだ。

 


一方で、この変化は多くの場合一時的である。

動作、荷重、生活文脈が変わらなければ、

脳は再び元の予測モデルに戻っていく。

 

 

 

 

 

 

だから「ほぐし」はゴールではない

 

 

 

神経科学的に整理すると、

 


ほぐすとは、

身体を変える行為ではなく、

身体を“再認識できる状態”をつくる行為

 


と言える。

 


感覚がクリアになり、

出力が下がり、

動かせる余地が生まれる。

 


その「手前」をつくるのが、ほぐしの役割だ。

 


その先で、

 


動かす
荷重する
新しい運動経験を与える

 

 


ことで初めて、

脳の予測モデルそのものが更新され、

持続的な変化につながっていく。

 

 

 

 

 

 

おわりに

 

 

 

「ほぐす」という言葉は便利だ。

けれど、その中で起きていることを丁寧に見ていくと、

それは筋肉の話ではなく、脳と感覚の話だった。

 


触れ方ひとつで、

感覚が変わり、

予測が変わり、

出力が変わる。

 


だからこそ、

「ほぐしたあとに、何を起こしたいのか」。

 


そこまで含めて考えることが、

これからの臨床やセルフケアには求められている気がしている。

選手はここまで勉強している ― スポーツの世界から、療法士業界が学べること

菊池雄星選手に教えられた「専門職としての姿勢」


先日、KOHカンファレンスに参加してきました。
さまざまな分野の知見が交差する、非常に刺激的な時間でした。

その中でも、私の中に強く残ったのが、
菊池雄星選手の「学び」に対する姿勢です。

単なる技術論ではなく、
データ、脳機能、神経学、運動学習…。
それらを「知識」ではなく、
自分の身体を高めるための道具として使いこなしている

そんな印象を受けました。

この話は、
アスリートだけの話ではありません。

むしろ私自身、
「これは、療法士という仕事にも
そのまま当てはまる話だ」と感じながら、
講演を聞いていました。


データとエビデンスに基づく「練習設計」

菊池選手の話から感じたのは、

「感覚」や「経験」だけに頼らない
「データで身体を捉え、データで成長戦略を描く」

という姿勢でした。

球速、回転数、リリース角度、関節角度、筋活動、疲労指標…。
これらを単なる“数字”として見るのではなく、
「身体の状態を可視化する言語」として扱っている。

テクニックや感覚的な部分を、

・数値化し
・トレンドを分析し
・仮説を立て
・トレーニングに落とし込む

まさに、
選手でありながら、研究者でもある。

そんな印象を受けました。


インターナルフォーカスとエクスターナルフォーカス

「知っている」ではなく「使っている」

特に印象的だったのが、
インターナルフォーカスとエクスターナルフォーカスについての説明でした。

この言葉自体は、
私たち療法士にとって決して珍しくありません。

しかし、菊池選手が語っていたのは、

・どの場面で
・なぜ切り替え
・感覚がどう変わり
・結果がどう変化するのか

という、運動制御のリアルそのものでした。

私は、強く思いました。

この人は「知っている」のではなく、
「実践し経験している」のだと。


選手が最先端を学び続ける時代

では、療法士はどうだろうか?

これだけのトップアスリートが、
脳や神経や運動学習を学んでいる。

では、私たち療法士は、
彼らに何を提供できているだろうか?

インターナルフォーカス、エクスターナルフォーカス。
神経可塑性、姿勢制御、視覚と前庭。

言葉は知っている。

では、

・それを臨床で説明できるか
・患者に伝えられるか
・評価に落とし込めているか

そこまでできている人が、
どれほどいるのだろうか。


「新しい知識」ではなかった

正直に言えば、
今回のカンファレンスで、
まったく初めて聞くような内容ばかりではありませんでした。

ただし、

それらを「どう使うか」
という姿勢と態度を学べたことこそが、最大の収穫でした。

知っているかどうかではなく、
使えているかどうか。

勉強したかどうかではなく、
臨床に落とし込めているかどうか。


プロ選手が学びに来る時代

このカンファレンスには、
現役のプロ選手も参加していました。

プリズム順応、視覚と姿勢制御、
運動と脳の関係性。

それらを、

メモを取りながら、
真剣な表情で学び、
講師に質問を投げかける。

その質問内容は、

「今、自分が受けているトレーニングや治療効果が
どういう意味を持っているのか」

という、本質的な問いでした。

 

時代は、確実に変わってきています。


最後に

最後に、ひとつだけ。

今回のカンファレンスを通して、

「すごい姿勢と態度だな」と強く感じました。


菊池雄星選手を特別たらしめているのは、
「学び続けることを当たり前にしている態度そのもの」にあるんだと思いました。

自分の身体を、
自分で理解しようとし、
自分で問い続け、
自分で検証していく。

これは、アスリートの話ではなく、
私たち療法士にも、そのまま通じる話だと思います。

医療やリハビリの世界も、
もう「経験」や「勘」だけで通用する時代ではありません。

同時に、
「知識があれば良い」という話でもありません。

知識を
現場でどう使うか。
患者の身体とどうつなげるか。
そして、自分の臨床をどう更新し続けるか。

そこにこそ、
本当の専門性があるのだと思います。

選手がここまで学んでいる時代に、
私たち専門職が立ち止まっていいはずがありません。

誰かに勝つためではなく、
昨日の自分に置いていかれないために。

SNSで話題の「江戸走り」を理学療法士が考察してみた

江戸時代


最近SNSでよく見かける“江戸走り”。
あの妙な軽さと、スルスル前へ進んでいく感じが気になって、つい何度も動画を見返してしまいます。

「なんであそこまで上半身が揺れないのか?」
「昔の人がこのフォームで長距離を移動していた理由はどこにあるのか?」
そんな疑問から、理学療法士として少し整理してみました。


重心が前にある走り方

江戸走りは、足を頑張って振っているわけではなく、
重心を前へ置き、それに身体が自然と“ついていく”動きが中心になっています。

現代のアスリートにも共通していますが、
重心の使い方が上手い人ほど“足を出す”という感覚が薄い。

江戸走りは、その典型のように見えます。


頭が揺れない走り=軸が整っている

動画を見ても、江戸走りは頭部の揺れが非常に小さい。
これは重心線の安定と、体幹の無駄な動きが抑えられている証拠です。

上半身が揺れないことで、呼吸も乱れにくく、
長距離の移動に向いた走り方になっています。


骨盤と股関節が“起点”になっている走り

江戸走りを身体の連鎖で見ると、
もっとも重要なのは 骨盤と股関節の使い方 です。

動画だけだと“足が小刻みに出ているように見える”かもしれませんが、
実際の主役は 骨盤のわずかな回旋と前方スライド にあります。

ここが江戸走りの本質です。

骨盤・股関節周囲の小さな回旋

 ↓

下肢へ波のように広がる

 ↓

脊柱は必要な分だけ吸収して頭を安定させる

この流れが非常にうまい。

骨盤と股関節の回旋は大きく見せる必要はなく、
“ほんの数ミリ動く”程度でも、その上に乗っている脊柱や下肢へしっかり波及します。

逆にいうと、
骨盤が動かないと足は前へ自然に出てこないし、
脊柱も揺れを吸収できません。

江戸走りは、この連鎖の「最小限の動きだけを使って最大限の効率を生む」という点が非常に特徴的です。

現代のアスリートもここが上手い選手ほど、
力ではなく“配置と連鎖”で前に進んでいきます。


“省エネで進む”理由は回旋運動の扱い方にある

江戸走りは、関節を大きく振り回すのではなく、
必要な部分だけを小さく、しかし的確に使っています。

とくに骨盤の回旋が生み出す“ひねり”は、
推進力とリズムを作る核になる部分です。

骨盤が軽く回る
→ 股関節の内外旋が誘導される
→ 足が自然に前へ出る
→ 脊柱が微細に回旋しながら揺れを吸収する

このように身体が一つの連続体として動いていくため、
力まずに進み続けることができます。

江戸走りが“疲れない走り方”に見えるのは、この連鎖構造が理由です。


江戸走りは、現代のスポーツ科学と通じる身体文化

日常生活が長距離の移動を前提としていた江戸時代。
草履で地面を感じながら生活していた文化背景もあり、
“力まないで遠くへ行くための走り方”が自然と洗練されていったのだと思います。

現代スポーツの観点から見ても、
骨盤―股関節を起点にした回旋連鎖を最小限の動きで使うというのは、
非常に効率的で、疲労の少ない動き方です。


深い話はNoteに書いています

この記事では大まかなイメージだけまとめていますが、
重心制御、内部モデル(予測制御)、骨盤と股関節の役割など、
江戸走りの裏にある“身体のメカニズム”をもっと深く知りたい方は、
Noteにまとめている記事を読んでいただければ理解がさらに深まると思います。

note.com


おわりに

江戸走りは、昔の奇妙な走り方ではなく、
身体の構造を無理なく使った、とても合理的な走法です。

骨盤と股関節を起点とした回旋の連鎖を最小限に使い、
頭部の安定を作りながら、重心を前へ滑らせる。

こういう「身体文化」が日常に根付いていたことは、
現代の身体操作にも大きなヒントになると感じています。

トレーナー活動再開します!

トレーナー業を再開するにあたって

―身体が変わるとは、神経が再構築されるということ―

トレーナー業の再開に向けて勉強している中で、あらためて感じていることがあります。
いまの現場には、身体づくりに関する理論の中に大きな飛躍があるということです。

ケアをして、可動域を広げ、筋力を高め、バランスを整え、パフォーマンスを上げる──。
この一連の流れはどこか整然としていますが、
その間には“なぜ変化が起こるのか”という根本のメカニズムが抜け落ちています。


「反復すれば上手くなる」という思い込み

「反復すれば上達する」という言葉は、トレーニング現場で頻繁に使われます。
しかし、神経科学の視点から見ると、それは限定的な真実にすぎません。

たとえば、テニスのサーブを100回繰り返しても、
うまくいった感覚と失敗した感覚を区別せずに行えば、
脳は「平均的な動き」として情報をまとめてしまいます。
つまり、正確な神経信号の経路が形成されず、
「慣れたけれど上達していない」状態になります。

運動学習の古典的研究(Schmidt, 1975 / Gentile, 1972)は、
運動の習得とは神経回路の再構築であり、
そこには「誤差の検出」「感覚のフィードバック」「予測制御」が必要だと述べています。

ただ反復するのではなく、
「どの感覚がズレていたのか」を脳が理解し、修正していく。
この“誤差修正のプロセス”こそが学習の本質です。


筋肉ではなく、神経が変わっている

レーニングによる初期の筋力向上の多くは、
筋肥大ではなく神経適応(neural adaptation)によるものです。

脳の運動野や小脳、脊髄の神経ネットワークが再調整され、
筋出力のタイミングや運動単位の動員パターンが洗練されていきます。

Cohenら(2010)の研究では、
わずか5日間のトレーニングで皮質運動野の興奮性が変化することが示されています。
筋肉そのものが変わるよりも先に、
神経の情報処理構造が変化しているのです。

現場で「すぐに変わった」「軽く動けるようになった」と感じるケースの多くは、
筋肉ではなく神経の再配線(reorganization)が起きていると考えられます。


ネイマールの脳が教えてくれる「神経効率化」

プロサッカー選手・ネイマールの脳活動をfMRIで解析した研究(Naito et al., 2014)では、
一般人と比べて一次運動野の活動が圧倒的に少ないことが報告されています。

これは「力を抜いている」ということではなく、
脳の神経回路が極限まで最適化され、省エネルギー的な制御が成立しているという意味です。

熟練者ほど「考えずにできる」と言いますが、
それは感覚・運動の統合経験が積み重なり、
脳が不要な活動を削ぎ落とした結果です。

つまり、“上手い”とは筋力のことではなく、
無駄のない神経制御(neural efficiency)を指しています。


同じトレーニングでも、感じている情報が違う

同じトレーニング課題でも、
脳が受け取っている情報の質が違えば、学習の方向性もまったく異なります。

たとえば「片脚スクワット」を行う場面を想像してください。

  • 選手Aは、膝や太ももの“力の入り具合”を意識しています。

  • 選手Bは、足裏の接地圧・骨盤の微妙な動き・呼吸との協調を感じています。

Aの神経系は「出力中心」に働き、
Bの神経系は「感覚と出力の統合(センサリモーター統合)」に働いています。

Aは筋肉を動かす方法を学び、Bは身体全体で動きを制御する方法を学んでいる。
同じフォームでも、脳が処理している情報の階層が異なるのです。

この“感覚の差”が、最終的なパフォーマンス差につながります。


バランス能力は筋力ではなく「感覚の選び方」で決まる

片脚立ちのような単純な課題でも、
姿勢を保つために脳がどの感覚情報を使っているかが重要です。

人間のバランス制御は、
固有感覚(足や関節の情報)、前庭感覚(平衡器官)、視覚の3つを
状況に応じて使い分ける仕組みになっています。

Peterka(2002)はこれを感覚再重みづけ(sensory re-weighting)と呼びました。

たとえば、

  • 安定した床では視覚依存が高く、

  • 不安定なマット上では固有感覚と前庭への依存が高まります。

レーニングとは、感覚の使い方を再構築することでもあります。
つまり「どの感覚を捨て、どの感覚を拾うか」を神経が学んでいるのです。


可動域が広がっても動作に活かせない理由

可動域訓練でROM(関節可動域)が広がっても、
実際の動作中にその範囲を使えないことがあります。

これは「筋肉が硬いから」ではなく、
脳がその動きを必要としていないからです。

可動域とは構造的な可能性であり、
その動きを機能として活かすためには、
脳が「この動作は安全で、目的に沿っている」と認識し直す必要があります。

つまりROM訓練とは、
関節を動かすこと以上に、脳に新しい運動文脈を学習させる作業でもあります。


痛みやケガの回復にも「神経の再構築」という視点が不可欠です

痛みやケガの回復過程においても、
この「神経の再構築」という視点は欠かせません。

私たちは痛みを“組織の問題”としてとらえがちですが、
実際には痛みとは神経系の情報処理の結果です。
同じ損傷でも「強く痛む人」と「ほとんど痛くない人」がいるのは、
筋肉や関節の違いではなく、脳や脊髄での感覚処理の違いです。

慢性的な痛みでは、損傷が治癒しても痛みが残ることがあります。
これは脳や脊髄が「痛み信号のパターン」を学習してしまった結果、
神経可塑性の“負の適応”が起こっている状態です。

このような場合、
ストレッチやマッサージだけではなく、
「安全に動ける」「痛みなく動作できる」という新しい感覚経験を再学習させる必要があります。

リハビリで動作を再獲得する過程とは、
神経が「この動きは危険ではない」と再評価する教育プロセスでもあります。


組織が治っても、神経が学習していなければ動けない

骨折や靭帯損傷からの回復期でも、
画像上は治っているのに「怖くて踏み込めない」「力が抜ける」といった症状が残ることがあります。

これは筋力不足ではなく、神経がその動作を危険と認識しているためです。
脳の運動野には、ケガをした瞬間に「その動作を避けるプログラム」が形成されます。
それを上書きしない限り、どれだけ筋肉が回復しても動作は戻りません。

そのため、回復過程では神経の再教育(re-education)が不可欠です。
“痛みなく動ける”という感覚経験を繰り返し積み重ねることで、
脳の「運動地図(motor map)」が再構築されていきます。


痛みは「情報の誤学習」でもある

痛みを単なる“警報”としてではなく、
情報処理の誤学習として捉えることも重要です。

手術後や慢性痛のケースでは、
関節や筋肉の問題よりも、
「脳がどのようにその信号を解釈しているか」に問題があることが多くあります。

そのようなときに必要なのは、
「痛みを我慢する」ことではなく、
正しい感覚入力を通して神経に新しい解釈を学習させることです。

触覚・深部感覚・視覚・聴覚といった複数の入力を再構成し、
神経が「これは痛みではなく、動ける感覚だ」と再定義していく。
これが、疼痛科学が示す“感覚統合による回復”の仕組みです。


トレーナーとして、これから

私はこれから、トレーナーとして再び現場に立つにあたって、
「筋肉を鍛える」よりも「神経を育てる」という視点を大切にしていきます。

身体を変えるとは、筋肉を変えることではなく、
神経が身体を再び信頼できるように導くことです。

同じトレーニング課題でも、
“何を感じ取り、どう情報化しているか”によって結果はまったく変わります。
動きを変えるとは、感覚を変えること。
感覚を変えるとは、脳の世界地図を描き替えること。

そんな視点から、選手やクライアント一人ひとりと向き合っていきたいと思います。

ウィメンズヘルスケアプログラムを立ち上げようと思ったわけ


私がウィメンズヘルスケアプログラムを立ち上げようと思ったわけ

今回は、私が「ウィメンズヘルスケアプログラム」を立ち上げた背景と、そこに込めた想いについてお話しします。

実は、PEAKFORMのお客様の7割は「女性」です。

PEAKFORMのパーソナルケアには、痛みや姿勢の崩れ、動きづらさなど、さまざまなお悩みを抱えたお客様が日々いらっしゃいます。
PEAKFORMをオープンし1年以上が経過し、私がはっきりと気づいたことがあります。

「来られる方の7割が女性である」という事実。
そして、その多くの方が「どこに相談すればいいのか分からなかった」「病院では“異常なし”あるいは“経過観察”と言われた」とおっしゃるのです。

これは、単なる偶然ではないと感じました。

医療としての理学療法が届いていない現実

実は、アメリカやヨーロッパなどでは、妊娠・出産・更年期など女性特有の身体の変化に対して理学療法が“医療として”提供されることが一般的です。
理学療法士が骨盤底筋や姿勢・体幹の変化に対応し、運動療法や手技を通じてサポートを行っています。

ところが日本では、ウィメンズヘルスに関する理学療法は“医療の範疇外”とされ、制度上も十分な枠組みが整っていません。
つまり、本来なら医療的サポートが必要なはずの症状が、見過ごされてしまうことが多いのです。

女性が自分の身体について学ぶ機会が圧倒的に少ない

妊娠・出産・育児・更年期…
女性の身体は人生のなかで何度も大きな変化を迎えます。
しかし、その変化に対して「これは普通」「仕方がない」と思い込み、正しい知識や対応法を学ぶ機会を持てない方が非常に多いと感じています。

  • 「産後に腰や股関節が痛むのは普通」

  • 「仰向けの姿勢が苦しいのは当たり前」
  • 「年齢とともに尿もれや姿勢の崩れが起きても仕方がない」

  • 「下腹がぽっこりしてきたのは筋力の低下かな…」

これらは“年齢”や“ライフステージのせい”と流されがちですが、適切な評価とケアで改善が可能なケースも実は多くあるのです。

理学療法士として、女性の健康に貢献したい

2025年7月、私はAPTA認定の産前産後の理学療法に特化した研修に参加しました。
科学的根拠に基づき、女性の身体に専門的にアプローチする理学療法の可能性を学び直しました

そして同時に、日本ではこの分野がいまだ“見えない課題”として置き去りにされている現実を、私は痛感しました。
近年、女性の社会的役割は大きく変化しています。その一つが「女性が働くことが当たり前になった」という点です。実際、PEAKFORMをご利用いただいているお客様の多くも、仕事を持つ女性です。

しかし、この社会構造の変化に対して、制度や環境の整備は十分とは言えません。たとえば、産後の不調を抱えたまま職場復帰を余儀なくされるケースは、決して珍しくないのが現状です。

このような問題の背景には、「妊娠・出産が医療の枠組みから外れている」という日本特有の構造的な課題があります。医療の視点から支援を受けにくいがゆえに、多くの女性が制度の狭間で苦しんでいるのです。

こうした現実に対し、PEAKFORMは応えていきたい。
そうして生まれたのが、女性の身体に対する専門的な「ウィメンズヘルスケアプログラム」です。

「身体に向き合う」という新しい体験を、あなたに

このプログラムでは、以下のようなお悩みに対応しています:

  • 浮き腰現象:仰向けになると腰が過度に浮いてしまい寝苦しい方

  • 産後の体型・姿勢の変化

  • 骨盤底筋のトラブル(尿もれ、骨盤のゆるみなど)

  • 更年期の不調(姿勢、バランス、筋力の低下)

  • スポーツや仕事復帰に向けたコンディショニング

特に「浮き腰現象」は骨盤帯の機能低下のサイン。あらゆる不調の引き金となります。身体の不調や痛みで来店される女性の方の9割が「浮き腰現象」をともなっています。自分自身の身体にきちんと向き合い、正しく理解する。
それは、「なんとなく不調」と付き合うのではなく、
自分の身体を自分でコントロールしていくための第一歩です。

最後に

ウィメンズヘルスケアプログラムは、まだ新しい試みです。
すべての女性が、自分の身体の変化を「当たり前」と諦めず、正しいケアと知識で、より自由に生きられる社会を目指したい。そう考えています。


ご相談はいつでもお気軽にどうぞ。
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